国際文化学部専任講師 竹内晶子
ニューヨークのコロンビア大学でTA(teaching assistant)をした経験に基づいて、あちらでの授業評価について報告するよう、要請をいただきました。私個人のごく限られた体験によるものですので、学部運営の立場からというよりはむしろ教える側、とりわけ若手研究者としての立場からの意見に偏りますが、参考になれば幸いです。
最初にTA制度について簡単に説明いたします。一言でTAといっても、多人数の生徒を対象とする講義での教授補佐(レポート採点など)から、TA一人で授業を受けもつケースまでさまざまです。いずれにせよ博士課程の学生は全員、通年あるいは隔学期、何らかのTAをすることで大学から奨学金を得、また将来にむけて大学で教える訓練をすることになるわけです。私の場合は、7人前後の学生を対象とする小さなクラスを一人で担当したのが3学期間、中国を専門とする教授とペアを組んで20人前後の学生を対象とする「東アジア文明」クラスを教えたのが2学期間でした。後者の場合は、学期後半部の日本文化・文学のパートを一人で担当したわけですが、いずれの場合も担当分に関しては、教材選択からシラバス作成まで、私個人の裁量にまかせてもらえました。
授業評価は、毎学期最終週に授業時間内に行われるのが慣例です。生徒が所定の用紙に記入する10−15分間、講師は教室の外にいることが義務付けられています。記入済みの用紙は所定の袋の中にまとめて入れられ、(講師本人ではなく)生徒の一人が学部事務室まで持ってくることになっています。当然のことですが、講師が授業評価用紙を読むことを許されるのは、成績評価がすんだ後になります。学部によっては、筆記で答える欄の回答をわざわざタイプで打ちなおしてから講師に見せる、というところもあるそうです。筆跡から回答者が特定できないようにするためです(私が所属していた学部ではそこまで手間をかけていませんでした)。
回答はマークシートと筆記の二部からなりますが、マークシートで聞く内容は、法政大学で行われているのとほとんど変わらなかったように記憶しています。一番の違いは、筆記欄の質問内容でした。「授業で使用する教材をよりよくするために、講師に何か提案することはあるか?」「シラバスや、授業の運営方法をよりよくするために、講師に何か提案することはあるか?」「その他何でも、講師に提案することは?」という三つに分かれているため、かなり具体的な「提案」が生徒の側から聞けるのです。
これは、教える側にとって――とりわけ、教え始めて日の浅い若手にとって――非常に役に立つものでした。まったく何も書き込まない生徒もいましたし、「楽しかったよ、ありがとう!」という一言、あるいは「難しすぎた」という一言だけ、という生徒もいましたが、あのテキストは難しすぎた、あの項目はもっと詳しく説明してほしかった、等から、毎週のクラス冒頭の小テストはもっと難しくても大丈夫、とか、もっとハンドアウトを多用してくれると予習がしやすい、などといった事にいたるまで、かなりぎっしりと「提案」を書いてくれる生徒も少なくありません。
生徒との距離を近く保とうという努力は講師の誰もがしている事ですが、それでも、わざわざ授業運営のアドバイスをするために先生のオフィスアワーに訪ねていく、という生徒はまずいません。またマークシート方式で聞く内容は漠然としすぎていて、授業運営にあたっての指針としては全く役に立ちません。そのうえ前にも書いたようにTA一人で授業をすることも少なくありませんし、他の教授とペアを組む場合でも、教授から教え方についてアドバイスが来ることは現実にほとんどありませんから、計5学期教えた私の経験から言えば、「教授法」について一番私に教えてくれたのは、この毎学期末の授業評価でした。毎学期、シラバスを作る段階からいろいろ新しい試みを取り入れてみるのですが、その実験が成功したかどうか、どうしたらそれをもっとよくできるか、教えてくれたのがこの記入式の「授業評価」でした。
ちなみに記入式の欄で悪口雑言を書かれた、という話は、少なくとも私の回りでは聞いたことがありません。講師に対する具体的な提案を書くように指示されているので、講師個人に対する感情的な言葉が書き込みにくいのかもしれません。またこの授業評価は、若手研究者が大学のポストに応募する際、自分の教授経験をアピールする道具として使えるという利点もありました。そのため私も含め大学院生はたいてい、将来大学に応募するときに備えて、記入式欄に学生が書き込んだ絶賛の言葉などを毎学期ちゃんとコピーして手元に残しておいていました。
なんだかよいことばかり書いてしまったようですが、生徒に大いに教えられたと実感している立場からすると、授業評価には感謝しきりです。「授業評価」と呼ばれるものが、生徒からの一方的な「評価」に留まらず、むしろこんな風に生徒からの「提案」を汲み取る場として機能したときに始めて、生徒と教師の双方にとって真に有用なものとなりえるのではないか、というのが、私の個人的な経験から切に感じたところです。